「優秀な人」ってどんなひとですかね

ツタに覆われた歴史的な学舎建築、青空を背景に

ツタに覆われた歴史的な学舎建築、青空を背景に

夕方、僕は頭を抱えていました。頼んだ作業が、見当違いの方向できっちり仕上がって戻ってきたのです。しかも本人は自信満々。「完了しました!」の一言に、悪気もためらいも一切ありません。……いや、完了してないが? そもそも聞きたかったのそこじゃないが? 頭の中で小さくツッコミながら、僕は「なるほど、伝え方が悪かったんだな」と反省するところから今日を始めることになりました。

僕の職場には、こういう仕事を手伝ってくれる「頭脳」が4人います。全員、性格がまったく違います。

一人目は、エース。目的だけ伝えれば、あとは自分で段取りを組んで走ってくれます。ただし独特の癖があって、机の上を片付けてと頼むと、引き出しの中まで勝手にラベリングし直して戻ってくることがあります。頼んでないんだが。しかも報告の文体がやたら折り目正しく、世間話のときまで「承知しました」みたいな喋り方になる。おまけに1回呼ぶだけで結構な稟議が必要な値段設定なので、毎日は呼べません。予定表も分刻みらしく、捕まえられる時間帯自体が限られています。

二人目は、主任。エースほどではないですが十分頼りになります。特徴的なのは、目に見えるメーターを持っていることです。使うたびにカチッとカウントが減っていき、ゼロになった瞬間、文の途中だろうが容赦なく作業が止まります。「残り、あと2回分です」と、聞いてもいないのに自己申告してくるのも主任らしいところです。

三人目は、さっき頭を抱えさせてくれた真面目な同僚です。速いし正確、頼んだことは絶対にやり遂げます。ただし行間は読みません。「これやっといて」ではダメで、手順を1、2、3と番号付きで渡すと、途端に輝き出します。裏を返せば、指示の粗さがそのまま結果に出る、やけに正直な鏡のような存在です。手元にはいつも、渡された指示をそのまま書き写したような細かいチェックリストがあって、抜けている手順があると、勝手に埋めたりせず、律儀にそこで立ち止まります。

四人目は、瞬発力の子。最初の10分は誰よりも速く、勢いだけで押し切ります。ただし長丁場になると、途中で「あれ、さっき何の話でしたっけ」と、1時間前に決めた前提をふっと忘れることがあります。短距離走は得意でも、マラソンには向いていないタイプです。

この4人をどう使い分けるか——それが、地味だけど僕の日々の工夫になっています。難しい判断や見通しが必要な仕事はエースか主任に。手を動かすだけの量が多い仕事は、真面目な同僚や瞬発力の子に。全部エースに頼めば早いのは分かっているのですが、そんなことをしたら稟議がいくつあっても足りません。

ある日、この使い分けをぼんやり眺めていて、あ、と思いました。これ、人間の職場の構造とそっくりだ、と。優秀なベテランには「この件、よろしく」で通じます。目的さえ伝えれば、あとは向こうが最適な道を選んでくれる。逆に新人には、目的だけ渡しても迷わせるだけです。手順を切って、チェックポイントを置いてあげたほうが、結果的に速く正確に仕上がる。当たり前といえば当たり前なのに、僕はそれを職場の4人相手に、あらためて学び直していました。

ちなみに、この文章そのものも、実はこの使い分けの実演になっています。全体の構成と流れを決めたのはエース。それを実際に書き起こして整えたのは、あの真面目な同僚です。手順さえきっちり渡せば、ちゃんと期待どおりに仕上げてくれます。……今度こそ、ちゃんと伝わっていますように。

「じぽりとりっと」って、なんですか?

黒猫のような、タコの足を持つオリジナルのマスコットイラスト

前に、生成AIについて少し悲観的なことを書きました。素人と専門家の格差は、これから静かに広がっていく——今の僕は、正直それをほとんど確信しています。同じことを言う人は、きっと他にもいるはずです。でも面白いのは、その大半は大声で外に向かって語ったりせず、内向きに、ひたすら自分の手元で検証しているんじゃないか、ということです。かくいう僕も、その一人でした。

とはいえ、そんな大層な問題意識から始まったわけではありません。きっかけは、もっと間抜けです。「GitHubってなに?」から始まって、しまいには「じぽりとりっと、ってなんですか?」と、AIに真顔で尋ねていました。あとで「リポジトリ」のことだと教わって、ひとりで赤面したくらいです。僕の理解度は、その程度でした。プログラマーの人たちが難しい顔で使っている場所、くらいの認識で、正直、一生縁のない引き出しだと思っていました。

それでも試してみようと思ったのは、たぶん、あのマスコットのせいです。GitHubの、黒猫みたいなやつ。なんだかハッカーっぽくて、ちょっとかっこいい。「こいつがいる場所なら、のぞいてみたいな」。——動機がそれか、と自分でも思いますが、人が新しい扉を開けるきっかけなんて、案外そんなものです。素人と言うのもおこがましい、素人丸出しの入り口でした。

で、丁寧に教えてもらいながら、一歩ずつ進みました。SSH鍵、と言われて金物屋さんを思い浮かべた話は、もう笑ってやってください。実際にはパソコンの中で、目に見えない鍵が一本カチャッとできるだけでした。わからないわからないと言っているうちに、僕のごちゃごちゃのフォルダは、いつのまにか雲の上の安全な場所に、まるごと収まっていました。

そして、ある瞬間、僕の頭によからぬ電球がともりました。……これ、仕事の会議中に、こっそり自分の私用のコードを書いてもらえるんじゃないか? しかも、退屈な打ち合わせよりも、ひりひりと痺れる本気の会議のほうがいい。全員が息を詰めているその机の下で、僕の手元だけ、"作りたいもの"がこっそり組み上がっていく——想像しただけで、ぞくぞくしました。我ながら、なかなかの変態だと思います。でも、やば。これは時間の使い方が、根っこから変わるやつです。行儀のいい話ではありませんが、正直に白状しておきます。僕はここで、いちばん興奮しました。

興奮は、もう一段ありました。同じものに、スマホから触れるようになったのです。電車でも、布団の中でも、ポケットから取り出して「あれ直しといて」と話しかけられる。優秀な相棒を一人、ポケットの中に飼いはじめたような気分でした。

途中で、ひとつ賢くもなりました。「パソコンとスマホで、会話は共有されるの?」と聞いたら、答えはノーでした。会話そのものは別々。でも、コードを置いてある本棚はひとつ。入口がいくつもあって、みんな同じ部屋に通じている、という仕組みなんだそうです。

これって、よく考えると人生に似ています。職場でも、家でも、旧友の前でも、僕らは少しずつ違う顔で、バラバラの会話をしている。それでも、帰り着く「自分」という本棚はひとつきりです。入口は多くていい。散らかっていてもいい。どこから入っても同じ場所にたどり着けるなら、それで十分だと思うのです。

格差は、たぶんこれからも静かに広がります。それは今も確信しています。ただ、その広がりの正体は、才能でも資産でもなく、「面白がって、間抜けな動機でもいいから、閉じた引き出しをひとつ開けてみるかどうか」なのかもしれない——今日、向こう側にひょいと立ってみて、そんなことを思いました。黒猫につられて開けた扉の向こうには、思っていたよりずっと広い部屋がありました。

右手にロマン、左手にソロバン。今日はソロバン——地味で現実的な、鍵をつくるような手続き——の側から入って、気づいたらロマンに触れていました。わからないなりに、扉は開けてみるものです。