「じぽりとりっと」って、なんですか?

黒猫のような、タコの足を持つオリジナルのマスコットイラスト

前に、生成AIについて少し悲観的なことを書きました。素人と専門家の格差は、これから静かに広がっていく——今の僕は、正直それをほとんど確信しています。同じことを言う人は、きっと他にもいるはずです。でも面白いのは、その大半は大声で外に向かって語ったりせず、内向きに、ひたすら自分の手元で検証しているんじゃないか、ということです。かくいう僕も、その一人でした。

とはいえ、そんな大層な問題意識から始まったわけではありません。きっかけは、もっと間抜けです。「GitHubってなに?」から始まって、しまいには「じぽりとりっと、ってなんですか?」と、AIに真顔で尋ねていました。あとで「リポジトリ」のことだと教わって、ひとりで赤面したくらいです。僕の理解度は、その程度でした。プログラマーの人たちが難しい顔で使っている場所、くらいの認識で、正直、一生縁のない引き出しだと思っていました。

それでも試してみようと思ったのは、たぶん、あのマスコットのせいです。GitHubの、黒猫みたいなやつ。なんだかハッカーっぽくて、ちょっとかっこいい。「こいつがいる場所なら、のぞいてみたいな」。——動機がそれか、と自分でも思いますが、人が新しい扉を開けるきっかけなんて、案外そんなものです。素人と言うのもおこがましい、素人丸出しの入り口でした。

で、丁寧に教えてもらいながら、一歩ずつ進みました。SSH鍵、と言われて金物屋さんを思い浮かべた話は、もう笑ってやってください。実際にはパソコンの中で、目に見えない鍵が一本カチャッとできるだけでした。わからないわからないと言っているうちに、僕のごちゃごちゃのフォルダは、いつのまにか雲の上の安全な場所に、まるごと収まっていました。

そして、ある瞬間、僕の頭によからぬ電球がともりました。……これ、仕事の会議中に、こっそり自分の私用のコードを書いてもらえるんじゃないか? しかも、退屈な打ち合わせよりも、ひりひりと痺れる本気の会議のほうがいい。全員が息を詰めているその机の下で、僕の手元だけ、"作りたいもの"がこっそり組み上がっていく——想像しただけで、ぞくぞくしました。我ながら、なかなかの変態だと思います。でも、やば。これは時間の使い方が、根っこから変わるやつです。行儀のいい話ではありませんが、正直に白状しておきます。僕はここで、いちばん興奮しました。

興奮は、もう一段ありました。同じものに、スマホから触れるようになったのです。電車でも、布団の中でも、ポケットから取り出して「あれ直しといて」と話しかけられる。優秀な相棒を一人、ポケットの中に飼いはじめたような気分でした。

途中で、ひとつ賢くもなりました。「パソコンとスマホで、会話は共有されるの?」と聞いたら、答えはノーでした。会話そのものは別々。でも、コードを置いてある本棚はひとつ。入口がいくつもあって、みんな同じ部屋に通じている、という仕組みなんだそうです。

これって、よく考えると人生に似ています。職場でも、家でも、旧友の前でも、僕らは少しずつ違う顔で、バラバラの会話をしている。それでも、帰り着く「自分」という本棚はひとつきりです。入口は多くていい。散らかっていてもいい。どこから入っても同じ場所にたどり着けるなら、それで十分だと思うのです。

格差は、たぶんこれからも静かに広がります。それは今も確信しています。ただ、その広がりの正体は、才能でも資産でもなく、「面白がって、間抜けな動機でもいいから、閉じた引き出しをひとつ開けてみるかどうか」なのかもしれない——今日、向こう側にひょいと立ってみて、そんなことを思いました。黒猫につられて開けた扉の向こうには、思っていたよりずっと広い部屋がありました。

右手にロマン、左手にソロバン。今日はソロバン——地味で現実的な、鍵をつくるような手続き——の側から入って、気づいたらロマンに触れていました。わからないなりに、扉は開けてみるものです。

ClaudeCodeがもたらす素人へのインパクト―格差拡大の構造強化か

先週、このサイトをまるごと作り直した。といっても、コードを書いたのは僕じゃない。名前も愛称も知らない一つのAIエージェントが、僕の代わりにHTMLとCSSを書き、WordPressのAPIを叩いて、ページをまるごと差し替えてくれた。僕がやったのは、「ミニマルでスタイリッシュにして」と伝えたことと、できあがった画面をスマホで確認して「ここの余白、もう少し広げて」と言い直したことくらいだ。

正直、怖くなった。

かつてインターネットが家庭に入ってきた頃、まだ誰もそれが何をもたらすのか分かっていなかった。「ホームページ」という言葉すら怪しく響いた時代に、いち早く手を動かした人たちだけが、次の10年の景色を先取りしていた。今、目の前で起きていることも、たぶん同じ種類の出来事だ。ただしAIエージェントの「believer」は、まだそう多くない。

僕はコードが書けない。だけど、書けなくても「作れる」時代になった。これは喜ばしいことのはずだ。学ぶコストの高い専門知識——プログラミング、デザイン、マーケティングの型——が、素人にも開かれていく。

だが、同時にこうも思う。この非対称性は、本当に縮まっているのだろうか。AIを使いこなして「素人でも作れる」ようになった人と、その存在すら知らずに旧来のやり方で消耗し続ける人の差は、むしろこれから広がっていくのではないか。雇われて働くことの意味も、静かに変質していくだろう。エージェントを何十体も同時に動かせる企業と、僕のように一人でつぶやきながら一つのエージェントと向き合う個人とでは、資本の使い方そのものが違う。同じ道具を「持っている」ことと、それを「使いこなせる」ことの間には、まだ大きな崖がある。

このサイトの刷新は、小さな出来事だ。だけど、僕はこの体験の中に、次の10年の縮図を見た気がしている。楽観と悲観、その両方が同時に正しい。そんな時代の入り口に、僕らは今、立っている。